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CカンパニーTOP > コンテンツ > クリエーターズ・インタビュー > 浅香信太郎 一級建築士 第1回

 
2月の良く晴れた日、東京都府中市を訪ねました。府中駅近くにある大國魂神社の参道を抜け、木立がうっそうとした脇道を通り抜けたところに、浅香信太郎デザイン室はありました。
 
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自然に囲まれた素晴らしいところですね。
 
浅香 そうでしょう。この広場の先、奥に見えるのは府中競馬場なの。
夏にはセミの抜け殻がいっぱい落ちている、自然を近くに感じられる場所なんだよね。
 
穏やかに話す浅香さんは、筆者の御茶ノ水美術学院時代からの友人です。
以前、Cカンパニーの展示会のデザインをお願いしたことがありました。

東京ビッグサイトの展示会をお願いしたのは、もう10年以上前になるのですね。
初めて展示会をやることになったとき、困って相談したのがはじまりでした。
 
浅香 もう10年か。早いね。
 
 
今回インタビューをさせていただくにあたり、改めて浅香信太郎デザイン室のホームページを見て、展示会をお願いするような方ではなかった、と改めて思いました。
 
浅香 いやいやいや。そんなことはないですよ。
あれはあれで面白い経験だった。なので、経歴にも掲載しています(笑)
 
今は一級建築士で設計をされていると思うのですが、確か、武蔵野美術大学の空間演出デザイン学科卒業ですよね。学生の頃から建築士になろうと決めていたのですか?
 
浅香 大学4年の時に、竹中工務店で模型作りのアルバイトをしたんです。そこで、当時設計部長だった有泉峡夫さんに出会ったのが建築士を目指したきっかけです。
 
有泉峡夫さんがきっかけなんですね。
 
浅香 はい。有泉さんに出会って『建築って面白いんだ』って思ったんです。
 
もし、違うアルバイトをしていたら、違う道だったかも知れない。すごい出会いですね。
 
浅香 そう、有泉さんに出会ってなかったら面白いと思わなかったかも知れない。
その後、僕が大学を卒業するタイミングで有泉さんが独立することになって、「建築の方をやる気があったら付いてこないか」と声をかけていただいたんです。
 
確か、浅香さんは、大学卒業後、建築士の資格を取るために専門学校にも行っていました。
 
浅香 建築学科に入っていたら、卒業すれば2年間とか4年間の実務経験で1級建築士の受験資格がもらえるけれど、大学の建築学科を出ていない場合は実務経験を7年積まないと2級の試験を受ける受験資格が取れない。夜学の専門学校へ2年間入れば、実務経験4年で2級の受験資格を得ることができる。1年間短くなるだけだけど、建築のことを学べるし、夜学へ通いたいと思った。
なので、有泉さんに「働きながら夜学に通っていいですか?」と言ったら、「いいよ」と言ってもらえた。それで、TASK architect & groups(以降、TASK)に入社しました。
 
夜学だったのですね。働きながら通い続けて・・・。すごいですね。
最終的に1級建築士の資格まで取っている。本当にすごいです。
夜学に通いながら勤めていたTASKでは、どんなことをしていたのですか?
 
浅香 TASKでは、調査や企画書づくりがメインの仕事で、設計やものづくりはなかなかやらせてもらえなかった。調査が済んで企画書が通って、いざ図面をひく段階になると中堅どころの人が担当になる。図面をひいたり、ものづくりがしたかったけれど、できなかった。
 
ものづくりがしたくてウズウズしている時に、ものづくりができないことは辛いですね。
 
浅香 そうなんです。その頃は、このままでは、いつまで経っても図面を引かせてもらえないという焦りと憤りを感じていてね。
 
それで、どうしたのですか?
 
浅香 そんな中、アメリカ横断ご招待ツアーに行かせてもらえることになってね。ニューヨークに行ったら、ショップ・デザインとか、とにかくすごかったんだよ。ショー・ウィンドウを見て、「これだ!これだよ。今、俺がやりたいのは!」と思ってしまったんです。
 
出会ってしまったのですね!若い頃の「これだ!」と思い込む力って強力なものがありますよね。
 
浅香 うん。でも、TASKは建築設計がメインで、ショップ・デザインは手掛けていなかった。それからも暫くもんもんとして悩んだ末、TASKを退社しました。
 
そういいながら、一冊の本を手にする浅香さん。
 
 
浅香 これね。俺がTASKにいた時、生まれて初めて買った洋書なの。TASKでは、参考にする洋書選びを任されていてね。
『建築って面白いんだ』と思わせてくれたのも、はじめて海外へ行かせてくれたのも、有泉さんなの。学生の頃も入社してからも、海外へどんどん行かせてもらったし、今なら、有泉さんが自分をどんなに大事に育てようとしていたかわかるんだけどね。若気の至りですな。
 
本当に大事にされていたんですね。
若い頃はわからない。時間がたって見える事ってありますよね・・・。

退社後は、どうしたのでしょうか?
 
浅香 履歴書を送ったり就職活動をして、ショップ・デザインができるCasappo & associates(以降、Casappo)に入社しました。
Casappoでは、インテリアデザイナーの植木莞爾さんと、物件ごとに担当制だったので、直ぐに『植木さんと俺』というかたちでまるまる1物件を担当させてもらうことができたんです。まさしく自分が望んでいた形だったので嬉しかった。
 
以前、葛西臨海水族園のレストランをデザインしたとお聞きしましたが、その頃ですか?
 
浅香 そう。あれもCasappoにいた頃に手掛けました。
最近、全面改装したけれど、随分長いこと使ってもらいました。
 
葛西臨海水族園はよく行きました。浅香さんがデザインしたレストランを何度も利用しています。
銀座三笠会館もデザインしていますね?
 
浅香 そうです。銀座三笠会館は、Casappoに在籍していた頃の最後の仕事です。
Casappoでの仕事は面白かったけれど、学生の頃から『30歳前に、納得いくまでヨーロッパを見て回る旅をする』と決めていたんです。
 
Casappoに在籍していた頃は、時々お会いしていました。
 
浅香 当時の全財産つぎ込んでヨーロッパへ行ってね。
1日平均200km車で走って、7か月間かけて19か国見て回りました。
 
7か月ですか?一日平均200km!
ヨーロッパを19か国も見て回ったのですね。すごいな〜。
仕事をやめて海外へ行ったのですよね。帰国後はどうなりましたか?
 
浅香 旅立った頃はバブル期で、4年先まで仕事が入っているという設計事務所もわんさかあった。
でも、帰国してみたら、バブルがはじけて、あれもこれもなくなっているという…(笑)
 
えっ。それで、仕事はどうしたのですか?
 
浅香 どこかに入社しようかとか、いろいろ考えました。迷って、Casappoの植木さんを訪ねたんです。そしたら植木さんが「雇用はできないけれど、物件ごとの契約の形でよかったら一緒にやろう。事務所も使っていいよ」と言ってくれた。
 
あぁ。よかった。助けられましたね。
 
浅香 はい。それで、フリーランスのデザイナーとして契約させてもらいました。
 
軽井沢ゴルフ倶楽部、ニューヨーク近代美術館MOMAも手掛けています。
 
軽井沢ゴルフ倶楽部 ℂCasappo & associates
 
浅香 そう。それは、Casappo & associatesとの契約委託の仕事でした。植木さんのおかげで、フリーランスでは取れないようなスケールの大きい経験になる物件をどんどんやらせてもらったの。本当に、植木さんには助けられました。
 
今も契約の仕事はしているのですか?
 
浅香 いえ。今は、浅香デザイン室としての仕事です。
特に、ここ府中に事務所を移してからは、住宅や保育園建設の仕事が増えました。
 
浅香信太郎デザイン室のホームページを見ながら話している私に、「良かったらこれ、あげようと思っていたんだ」と言って、冊子を渡してくれました。
 
 
あっ、そうそう。これ!『羽村たつの子保育園』。
完成した時、Facebookで写真をアップしていましたよね。
 
 
羽村たつの子保育園 写真提供:浅香信太郎デザイン室
 
こんな保育園なら私も通いたいと思いました。ステキですよね〜。
風が通る感じというか、五感が解放されるような空間ですね。
どうして、保育園の仕事を手掛けるようになったのでしょうか?
 
浅香 Casappoにいた時に知り合って、懇意にしていたインテリアデザイナーの五十嵐君から、「府中で保育園の改装の話があって、建築が絡むので、ちょっと見てもらえませんか?」という話をもらったのが最初です。
それは、保育園の一部を増築する話で、デザイン・コンペみたいな形でした。
保育園を見に行ってみると、増築に増築を重ねて、とても汚くなっていた。
なので、一度取っ払って改築するという案を出したところ、すごく気に入ってくれて、手掛けることになったのが保育園をやった最初です。
 
すごい!コンペで、しかも、本来の要望とは違うものを出して選ばれたのですね。
 
浅香 そう。
決まった後、「取っ払いたいと思っていることを、どうして、わかったの?」と言われましたよ(笑)
それから、その仕事を見て、他の保育園の新しい物件をご紹介いただいて、府中の保育園建設のコンペに参加するようになった。
 
紹介でも、コンペティションなのですね?厳しいですね。
 
浅香 府中市が保育園に無償で土地を提供するという話があって、『どんな建物で、どんな保育をするのか』ということを保育園の理事、園長、保育士たちと一緒に考えて、府中市にプレゼンする事業企画コンペティションです。
そのコンペが通って、800平米の保育園を建てる足掛かりになった。
 
なるほど。府中市に対するコンペティションなんですね。
いい仕事をして信用を得て、次の仕事につながっている。素晴らしい。
 
浅香 その壁に飾っているパースは、実際のプレゼンの時に使った資料です。
 
 
えっ?!これ、そうなんですか?!こうやってプレゼンするんだ〜。すご〜い。
これは、ひょっとして、今、手掛けている物件ですか?
 
浅香 そうです。プレゼンが通ったので、これから実際に使用する図面を描き始めるところです。
今は一段落して、これから忙しくなる前なので、ちょうどいいタイミングだったんですよ。
 
無理してお引き受けいただいたのでは?と心配していたので、安心しました。

実際のプレゼン資料を見ることができるなんて嬉しいです。
ここからまだ大変だと思いますが、どんな保育園が建つのか、楽しみですね。

もっと手掛けられたお仕事についてお話を伺いたのですが、それは浅香信太郎デザイン室のホームページをご覧いただくことにして。そろそろ、この『クリエイターズ・インタビュー』が生まれるきっかけになった『ノート』のお話も聞きたいのですが・・・。
 
浅香 手紙舎(調布にあるCafe)で話したノートのことね。これですよ。これ。
 
そう言いながら机の上に、1冊のノートを差し出してくれました。
表紙を開くとそこには・・・!
 
クリエーター:浅香信太郎(一級建築士、建築デザイナー)
インタビュー:ワタナベアケミ(Cカンパニー デザイナー)

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